皆さんは、自己肯定感高いですか?
そもそも高い低いと認識できるような自己肯定感、お持ちでしょうか?
私は最近になって「自己肯定感が低い」という認識をしました。
そういった認識が出来た以降も、なかなか上げられない自己肯定感をもつ親が育てている子。
と我が子が心配になりました。
タイトルから手軽に行えそうな印象をもったので、その方法を教えてもらうべく読書です。
そう、思い返してみればこれまで歩んできた人生で
「自己肯定感の低さゆえの過ち」を何度繰り返してきたことか…と。
いや、その時は自己肯定感なんて言葉さえも知らない状態でしたから、どうしてこうなのか、と自己嫌悪に陥るばかりで原因不明でした。
「自己肯定感」という言葉を知り、あ、これってもしかして、と過去の自分のダメさの原因が理解できた感じです。
意気地がなかったと言えばそれまでですが、その意気地を、我が子にはあふれんばかりに持っているという方向に導きたいというのが私の願いです。
ということで、出来ることから始めるために魔法の言葉を確認します。
とにもかくにも、著者の方がどんな方なのかから確認します。
◆一般社団法人 教育デザインラボ 代表理事
◆公立大学法人 都留文科大学 国際教育学科 特任教授
1968年横浜生まれ。教育者、作家、講演家、教育評論家
1989年、20歳で起業し、学習塾を創業。これまで3500人以上の生徒に対し、直接指導してきた。指導は、いわゆる詰め込み勉強をさせず、「心を高める」「生活習慣を整える」「考えさせる」の3つを柱に指導をすることで学力を引き上げる。
2003年、35歳で東京の中高一貫私立学校の常務理事に就任し、大規模な経営改革を実行し、経営改善を図るとともに教師の指導力を高める。また、横浜市教育委員会高校改革委員、文部科学省高校生留学支援金制度の座長を務め、生徒、保護者、教員を対象とした講演会、企業での研修会も毎年200回以上にのぼる。
石田勝紀公式サイト:プロフィール参照
しかも35歳で中高一貫校の常務理事!
35歳でプロ歴はすでに長いですが、常務理事まで勤められるほどの経験と知識をお持ちだったなんて…いや凄い。
その経験から
子どもは親の言葉によってつぶされている
という事を目の当たりにされたそうです。
我が子の将来を思っての親の言葉ですが、子どもにはその子を思う気持ちまで受けとれず、言葉通りに聞こえてしまうのです。(経験済み)
見るからに優しそうな石田さんの著書、読んでいきましょう‼
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タイトルにもある「自己肯定感」とはなんなのか。
これがあれば、色んな事に積極的に挑戦できるとか、豊かな人生(気持ち的に)が送れる可能性が高いとか、そんなことを言われています。
言葉自体は
自己+肯定+感
なので、どれも知っている単語です。
が、今一度確認しておきます。
自己肯定感とは自己価値に関する感覚であり、自分が自分についてどう考え、どう感じているかによって決まる感覚です。
そのままの自分を認め受け入れ、自分を尊重し、自己価値を感じて自らの全存在を肯定する「自己肯定感」の感覚は、何ができるか、何を持っているか、人と比べて優れているかどうかで自分を評価するのではなく、そのままの自分を認める感覚であり、「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在」だと思える心の状態が土台となります。
引用:一般社団法人セルフエスティーム普及協会
「そのままの自分を認める感覚」を持てている人、どのくらいいるでしょうか。
冒頭から申し上げている通り、私は自己肯定感がダントツで低いです。(ドヤッ!)
では、どうしたら自己肯定感をはぐくむことができるのか。
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いい言葉を言う前に、土台を作らなければいけないです。
それは、
ということ。
呪いといってもおどろおどろしいものではなく、普段親が使う言葉です。
・ちゃんとしなさい
・早くしなさい
・しっかりしなさい
・そのぐらい自分でしなさい
・愛想くらい良くしなさい などなど
聞き覚えのあるフレーズばかり。
まだまだ書いてあったのですが、上げたらきりがないのでこの辺にします。
言っている親と受け取る子供の間にギャップがあり、こういった呪いの言葉によって子供は傷つき心が呪縛されたかのように動けなくなっていくそうです。
子どもを見ているとよく「ちゃんとしなさい」って言いませんか?
とても便利だし、注意している気になりますよね!
でも子供からしたら「ちゃんとするってなんだよ、意味わかんねぇ」くらいの感覚でしかないようです。
「早くしなさい」も親の都合があるから早くして欲しいだけのこと。
もう、呪いの言葉が多すぎてこの事実を知った時は身の毛もよだちましたよ!
ちゃんとしなさい、じゃなくて具体的にして欲しいことを説明しないと
と、まずは食事の時によく使っていたこのワードを言い換えることに。
ちゃんと座って → 椅子の真ん中に座ってね
お箸をちゃんと持って → お箸の小指は隣とくっつけるんだよ
ちゃんと食べて → お茶碗半分までは食べてね
ちゃんと着替えて → 下着はズボンに入れて、上の服はしっかり出すように
など、ちょっと思い出しただけでも多いですよね。
書き出してみると、「どんだけぼんやりとした声掛けなんだ」と感じます。
具体的な指示を出せば、子どももどうすれば良いかを理解できるし、理解できるから対応速度が早くなりますよね。
と思いました。
紹介されている魔法の言葉は、それ自体とっても簡単な言葉でした。
でも、使うところと使い方を押さえておかないと、効果は薄いのかも。
具体的な魔法の言葉と使い方などについては、本を読んでいただければと思います。
子どもをどうこうしたいと思うのが子を持つ親の気持ちです。
私も我が子を見てて、あーでもないこーでもないと思いを巡らせ、自分が出来もしないことを子供に期待したりします。
自己肯定感を高く持ってほしい、と思っていますが、ふと自分を考えたとき低すぎて…
絶句。
子どもからしたら、親が出来ていないことをやれってことほど理不尽な要求はありません。
子どもに明るく育ってほしいなら、親が明るく過ごす。
子どもに本を読んで欲しいなら、親が読書する姿を見せる。
同じように、親が自己肯定感を高く持っていれば、子どもも自然とそうなっていくのだと思います。
単純なことですが、なかなか難しいですね。
そして、親がやっていれば子どもは必ず親と同じようになるとも限らないところが悩ましいです。
ただ、身近に手本がいるとイメージしやすいですよね。
一番身近な”大人”のイメージはやはり親。
お手本となれるように、子どもにアドバイスした時にそうかと聞いてもらえるように、自分自身も自己肯定感を高めておくのがいいですね!
私ったら出来る人!(むやみに自画自賛)
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呪いの言葉も魔法の言葉も簡単な言葉だけど、親が発すると威力がありますね。
幼少期に聞き覚えのある言葉が呪いリストに入っているなんて…
やっぱりね、って感じです。
幼少期は昭和の時代ですから、先生がビンタしたところで体罰だなんだと騒ぐような時代ではありませんでした。
むしろ親が「ご迷惑おかけしてすみません。ご指導ありがとうございます。」と先生のところに謝りに行くのが普通だったと思います。
いまと比べたら断然厳しめよね。
そんな中なら子育ても厳しめで行くっていうのも、普通だったのでしょう…。
同級生たちがみんな呪いの言葉を聞いて育っているということは、もちろんないでしょうが、かなり高い確率であったのだろうと想像しています。
過去を継承することも大切ですが、自分が違うなと思うところはサッと新方式を採用して上書きできる軽やかさをもった大人になって欲しい。
ということで、私も魔法の言葉を的確に使える様、まずは呪いの言葉を辞める、を意識して生活していきます!!
私の言葉で子供をつぶすようなことがあってはならぬ!!!!
肝に銘じます。